タダは、ひとをダメにする
今の世の中は、かつてなく無料のものであふれていて。このブログだってそうです。
それは、フリーミアム戦略と呼ばれるものに基づいて提供されている無料コンテンツなのだけど、無料で高品質なものがあふれかえった末に、モンスターがうまれました。
無料(タダ)じゃないと意味がない!
みたいな、純粋な消費者目線しか持たなくなっているひとたちのことです。
自分の得だけを考える「フリーライダー」と呼ばれるひとたちです。
このひとたちは、タダでサービスを受け取るのに慣れ過ぎていて、無料で世界が作られていると本気で思っています。
ある意味、幸せなひとたちです。何も考えなくても、自分で選んでなくても、なんとなく、そこそこのサービスをタダで受け取れて、たったそれっぽっちで満足できているのだから。
無料の範囲内の提供物で、満足しているんです。
そして、(タダだから、こんなもんで、まぁいっか・・・)の積み重ねを日々しているのです。
さらにタチの悪いことに、(まぁいっか・・・)を積み重ねていることすら、気づいていない。
古くからある「タダほど高いものはない」という言葉は、今の時代、本当に大事な指摘をしてくれているように思います。
無料のモノで満足することを覚えたツマラナイひとは、バックエンド商品を買ったひとを”情弱”と見下すこともあります。
無料で”ある”のに、なんで、お金だすの?バカじゃない??
ってやつです。お金を払わないことが、情強だと思っているんですね。超・節約思考なだけなんですが。ちなみに、脳みそのエネルギー消費を節約するには「考えないこと」が一番です。
情報やサービス、コンテンツには、無料と有料の線引きがあります。音楽だとサビの部分だけ、とか。Amazonだったら、立ち読みレベルの「お試し」だけ。
これはまだ、わかりやすい。
無料と有料の線引きがわかりづらいものもある。
それは、無料でサービスやコンテンツを享受している限りは、わからない。
でも、有料で「一線を越えた」ところに、”ある”のです。これを付加価値といいます。
キンコン西野のお金を支払うことで得られるメリット2つ
1:書籍なら、読まないともったいないなという”ほんの少しの粘り”
→興味がない情報も入ってくる可能性を広げる
→情報吸収力を買う
2:お金を支払って買ったものの良い部分を、必死に探そうとする
~魔法のコンパスp116-122より、まとめ~
この記事の冒頭にも書いたけど、(タダだから、こんなもんで、まぁいっか・・・)で、甘えがでる。思考停止する。
思考停止させず、より創造的であるために、支払いをする。買う。ということですね。
ひるがえって、あなたはどうですか?
藤原先生の本、ホリエモンの本、前田さんの本、菅ちゃんの本・・・買って、読んだ人ってどれくらいいるんだろう?
あなたが現時点で興味がない情報の中に、もしかしたら、人生を変えるアイデアが埋まってるかもしれないんだよ?
ひとつもやってないんだとしたら、それまでのひとだってことを、ばっちり証明している。
たとえば、えんとつ町のプペルを無料公開したのは、フリーミアム戦略だったと書籍にはある。
でも、この本を実際に読んでみたひとは、どれくらい、いるんだろう?
もうこの時点で、本を読んだひとの1割を切ると思うのね。
つまり・・・お金を支払って魔法のコンパスや革命のファンファーレを読んだとして、その先にまでちゃんと踏み込んだのか?ってことです。
フリー戦略について知りたいひとはこちらの書籍を読んでみてください。
- 作者: クリス・アンダーソン,小林弘人,高橋則明
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/11/21
- メディア: ハードカバー
- 購入: 133人 クリック: 3,796回
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ちなみに、アンリミ対象の書籍なので、月額980円の読み放題サービス(Kindle Unlimited)に加入するのもアリですよ。
初回30日間は無料でお試し利用できます。Kindle Unlimitedの申し込みはこのリンクをクリック
この、「無料お試し」を事業戦略として、効率よく取り入れることを、フリーミアム戦略といいます。
ただし。表面だけをうっすら知ってるだけでは、気づけないことがあって。
無料お試しのうしろ・・・バックエンド商品と呼ばれるものを商品構造として持たない人は、フリーミアム戦略を採用してはいけないのです。
ここらへん、ビジネスセンスのあるひとなら、すぐにわかるんですが・・・たいていの人は、わかりません。なぜなら、ほとんどのひとは、純粋な消費者目線しか持たないからです。
なので、駆け出しのフリーランスが、身を削って、いわゆる”タダ働き”をしてしまい、事業としてたちゆかなくなるんですけども、それはさておき。
フリーミム戦略については、本当に!たっくさん!!あるので、見てみてください。
ちょっとアンテナ立てて、世の中をみてみると、目に入ってきますよ。
さきほどの、Kindle Unlimitedも無料お試し→月額制という二段構えになっています。
スマホゲームはダウンロード無料で、プレイして楽しむ分には無料のままです。でも、ちょっと欲張ってアイテムやキャラクターを強くしようと思ったら、課金が必要(=有料)。
街頭でバイトが配っている(ありがたい)ティッシュだって、広告がついています。
「えんとつ町のプペル」を無料で全公開することで、話題を作り、絵本だけでなくビジネス書の購入、講演会への参加、オンラインサロンへと・・・
あなたがもし、ご自身のビジネスでフリーミアム戦略を取り入れるのなら、無料で提供するコンテンツのバックエンド商品は、複数用意しておくといいですね。
どこかで、お金が落ちるようにビジネスを設計するということです。
「タダより高いものはない」し、タダは、ひとをダメにもする。
なぜなら、(タダだったし・・・)と自分に言い訳をしやすいから。もったいないの”粘り”が生まれない。
お金を支払うという「痛み」がないことで、知識が頭にとどまらない。流れる・・・思考停止になるから。そこに創造性はない。
”わかってる”ひとは、ちゃんとお金の使いどころを知っています。
はてな?から生まれるもの
僕は芸人で、とにかく面白いことをしたい。それだけ。
~魔法のコンパス 道なき道の歩き方 p6~
魔法のコンパスによると、キンコン西野が「問い」を持つ理由は、面白いことを見つけるため。世の中をもっと面白くするため。
人生を賭けるほどの「問い」を見つけるには、居心地の悪い場所に立ったほうが見つかりやすい。
面白いことをしたいのなら、自分の人生を面白くしたいのなら、「問い」を使えということ。
そして、「問い」には必ず「答え」が埋まっている。
しかし、「ああでもない、こうでもない」という試行錯誤の日々は、もちろん不安と隣合わせ。
たとえ「問い」を持たずに生きていても、どのみち不安は隣に寄り添っているし、さらには次から次へと現れてくる「答え」を出す人々に嫉妬を繰り返しながら年老いていく人生になる。
ならば、「問い」を持とう。「答え」を探そう。
テレビの世界でスターにはなれなかったけれど、魚が鳥になるような「種の変更」をして新たなスターを目指す。
手始めが絵を描くことだった。
この試行錯誤の経緯が、魔法のコンパス 道なき道の歩き方には書かれています。
西野文脈において
面白い!って正義なんですよね。
大胆さも、ぶかっこうさも、失敗も。笑えるうちはいい。
笑えない、深刻な事態になるのはNG。
さて、次に、「問い」の答え方。
ヨットで例えると、ヨットは自分自身で、風はその時の状況のこと。
追い風は、「背が高い」「頭がいい」「運動神経がいい」「お金持ち」といった才能。
向かい風は、「背が低い」「頭が悪い」「運動音痴」「貧乏」など、嫌なこと。
イヤなことですら、風に過ぎない。帆の傾け方次第で、推進力として利用する。
イヤなことを排除すると「無風状態」で、実はその状態が一番やっかい。何の後押しもなく、手こぎでエッサホイサといかなきゃならなくなるから。
これはこれで、しんどい。
向かい風も、追い風。
どの方向からであろうと、そこに風が吹いていれば「ごちそうさま」で、基本的に僕らには常に追い風しか吹いていない。
・・・のは、わかるんだけど。
結局、答えになってないと思ったのはわたしだけでしょうか・・・
常に追い風しか吹いていないというのは、「答え」を見つけるための、自分で「答え」を作るためのガイドラインですよね。
一応、ヒントが出されていて、これが、藤原先生の必ず食える1%の人になる方法です。
これはまた、別の機会(信用についての解説で)に詳しく掘り下げます。
とにかく面白いことをしたい思いを持つ西野さんは、息をするように自然に、いつでも問いが生まれている。たぶん、そこにまだ疑問はないんだと思うのです。
わたしもそうなんだけど、ほっといても疑問だらけのひとは、問いが生まれないひとの本当の気持ちはわからないです。
でも、「なーんか、このままじゃ人生ヤバい」っていうのは、みんな、なんとなく気づいている。
(もしかして、ヤバいんじゃねーの?だったら、どうする?)
その「問い」にどれだけ真剣に取り組むか?って話だと思うのです。
いろんな手段は提供してくれています。レターポットの開発に加わってみるのもいいだろうし、講演会のスタッフとして参加してみてもいいだろうし。
地方だと、なかなか参加しづらいイベントが多いですけどね。地方だからとか、子どもが小さいからだとか学生だからだとか会社が残業続きでだとかお金がないからとか、言い訳しているうちは、真剣とはいえないですね。
自分で取り組むのか、周りが助けてくれることを祈って何もしないのか。そのひとの選択次第です。
ガイドラインは、「常に追い風しか吹いていない」でしたね。
さ。あなたなら、自分の「問い」に対して、何をしますか?
わたしの場合は、こんなことを考えてこうしてこのブログを書いているわけだけれど、誰かに頼まれたわけじゃないし、こうして<本には明確に書かれていないことを、わかりやすくつなぐ>ことが自分なりの「答え」であると信じて、今日もお届けしましたよん。
まず、「言葉」の定義をしよう
同じ『芸人』という言葉を使っているが、着地点が全然違う。
つまり、それぞれの『芸人』の定義が違うのだ。
~革命のファンファーレ 現代のお金と広告 p56~
はじめににも書きましたが、言葉(ワード)は語られる文脈によって、意味が変わる可能性があります。
これは、「芸人」という言葉だけではありません。
なので、発話意図を正確に把握するために、ひとつひとつ、丁寧にみていくのが・・・いわゆる、リテラシーと呼ばれるものです。
リテラシーは「読み、書き、そろばん」のことだってよくいわれるので、小学校の必須科目みたいな風に受け取られがちなんですが、そんなもんじゃない。
日本語が読めても書けても、お金の計算ができても。ただそれだけじゃ、生きていけないじゃない。
そういう、わかりやすいものの向こうにあるもの、行間にあって明確に表現されないもの、言外にあるものを読み解く力をリテラシーといいます。教養ともいわれます。
ここで、変にかみつくひとがいるのは知ってるので、先にいっておきますが、わたしがリテラシーがあり、教養があるひとであるって言ってるわけじゃありませんよ。少しでもリテラシーがあるひとなら、わかるはずのことなのですが、念のため。
ここらへんのエクスキューズが、西野ちっく…
さて。
西野文脈における【芸人】とは・・・
・ロックである
・生き様や姿勢
・本筋から外れた生き方の名前
・存在そのものが「質問」になっている人
・生き方の名称 NEW!
ex)定年間近なのに喫茶店やりたくて今すぐ独立するおやじ
皆が大企業に就職していく中、「俺、芸人になる」と言っちゃうやつ
皆が右に進んでいるときに「左という選択肢もあるよ」と行動でもって提案する人
魔法のコンパスの頃に比べて、だんだん、意味合いが変化してきているようにも思います。
「それもいいけど、こういう”オモシロイ”があってもよくない?」と提案したり、時に、「アイツのやっていることは、はたして正解なのかなぁ」という議論のネタになったり、そういった、存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している
~魔法のコンパス 道なき道の歩き方 p6~
これは、多くの人が、うっすらと同意している「漫才をする」「コントをする」「ひな壇にいる」「グルメレポートもする」「おもろいこという」のが、芸人と呼ばれる肩書き(=職業・職種)ととらえているけれど、
実際は、違うんじゃないか?と思って、実際に行動してみている。
っていう、キンコン西野さんなりの「はてな?」を体現しているわけですね。
具体的には、
芸人なのに、絵本を作ってみたり
芸人なのに、クラファンでお金を集めてみたり
芸人なのに、ビジネス書を出してみたり
芸人なのに・・・音楽活動をしてみたり(?)
音楽活動は、藤原先生の文脈でいうと、3歩目があんまり、遠くに飛んでない感じもありますが。
常識を疑うというと、とてもチープだけれど、西野文脈でいうところの【芸人】って「はてな?を自らつくり、世に問うているひと」なのかな、と思います。
考えてるだけの意識高い系のひとは、【芸人】じゃないということ。
そして、着金までデザインして、試行錯誤することの、ひとつの「やってみた事例」が、革命のファンファーレ 現代のお金と広告ですね。
ひとのことを外野からあれこれ言うのはアレなんで、わたしの体験談をお伝えしておきます。
コンピュータの専門学校卒。新卒で中小企業のプログラマーとして勤めましたが、会社員だったのは3年半ほど。あとは、個人事業主は15年くらい。法人なりして4期目になります。
先日、専門学校時代の友人に会ったら、そろそろ勤続20年が見えていると聞いて、びっくり!
ひとつの会社に勤め続けられるのも、才能だなと思いました。
わたしは、会社員を辞めてフリーになってから、自分がやりたい仕事を、興味のおもむくままに、そして、生活のために、とにかくお金になることをやってきました。
これまでのジェットコースターのような経済状況を思えば、この生き方が正解だったとは思わないけれど、会社員じゃない状態を選んだのには、私の中にも「問い」があったからだろうと思います。
その試行錯誤の結果が、肩書きが一定せずに、何者か、何屋さんなのかがわからないという今の状態になっています。
そういう意味では、西野文脈でいうところの【芸人】に近い存在なんじゃないかな。
ただ。わたしは、自分の生き方については【芸人】っぽい生き方を選んできた自負があるけれど、世の中を変えるような「壮大な問い」に取り組んだことはありません。
このブログは、その「壮大な問い」への足掛かりだと思っています。
ブログタイトルの由来
毎日ブログタイトルを変えていたのですが、「はてなのセカンドクリエイション」で、固定させます。
ブログを作るときは、たいてい、タイトル先行で悩むことがないのですが、今回は、悩みに悩んだ・・・
発信の方向性が決まらなかったからなんですね。
ようやく、自分なりの「こたえ」にたどり着いたのでした。
経緯に興味がある方は、こちらの記事もお読みください。
https://wecanchangetheworld.jp/2311.html
このブログは「はてなブログ」を使ってるわけなんですが、それがブログタイトルの由来ではなくて。
「問い」です。
知的好奇心が旺盛なわたしは、いつもいつも「問い」が発生します。
なぜ、うまくいかないんだろう?どうやったら、うまくいくのかな?
そんなことばっかりなんですね。
これがおそらく、わたしが好きで得意なことなんですよ。
ただ、ニーズとマッチするか?は、別問題です。
このため、このブログをはじめてみたんですね。
いつも書いてるブログは、ちょっと固いというか、どうやらわたしが言いたいことは伝わりづらそうであるっていう悲しい現実を受け入れた結果でもあります。
何事も、日々改善!です。
折り鶴問題をセカンドクリエイト
この記事は、被災地へ送られる愛のない折り鶴問題をセカンドクリエイトする試みです。
フィギュアスケートが好きで、よく見ます。
同じく見ている方ならご存知だと思うのですが、羽生結弦選手の演技が終わると、花束だけではなく「くまのプーさん」の黄色い雨が降り、スケートリンクを埋めるのです。
最近は、投げ込み多すぎとのことで、アリーナ席の観客のみがプレゼントできるルールになったり、スケートリンクに投げ入れずに、プレゼント渡し所なるところに置いてくるようになっているそうなのですが。
折り鶴問題と、くまのプーさん問題は、根っこが同じだなぁと思ったのです。
たぶん、そのうちピカチュウ問題(本田真凛選手)も発生するはず。
いくら、くまのプーさんが好きでもさ、あんなにいらんでしょ。
自分が受け取る側になればわかると思うのですけど、そういうのは考えないひとたちだということです。
自分が渡したいから、渡すの!(あとは知ったこっちゃない)っていうの、ほんと、無神経だよね。愛がないっていう指摘も、もっともだと思う。
演技するたびに毎回毎回もらってもさ、その後、どうしたらいいのよ?って話で。
特に海外遠征のときとかさ・・・その量、飛行機につめこんで持って帰るとでも思ってるんだろうか・・・いくら、布団圧縮袋にいれてギュウギュウにしたとしても、手荷物手数料とか誰が負担するんだ?
ぬいぐるみとして寄付する?・・・どこに??
逆に、「多すぎるくまのプーさんを引き取ります!」っていう支援を申し出てあげたほうが、よっぽど、喜ぶんじゃないだろうかと思うのです。本人も、スケート連盟も。
公式ファンクラブがあれば、後処理のためのクラファンでもすればいいのに・・・と思ったのですが、私設の「ファン同士が交流する」クラブしかないんですね。
で。この問題を解決するために何かを考えて、実際に動いて何かをしようって思う人がいない現状なわけです。
そして、連盟から言ってもきかないし、選手側から直接「もう、いらない」なんて言えないわけですよ。
折り鶴と同じ。
「あなたのためを思って送ったのに、受け取り拒否するなんて!」ってやつ。
これって、炎上案件になる可能性があって、そのせいで好感度が落ちたらスポンサーが居なくなるわけですよ。
スポンサーが居なくなれば、海外でのトレーニングができない。
一番、抑止効果が出せるであろう本人は動けないわけです。八方ふさがり。
ん?ここらへん、問題解決するヒーローがあらわれても、いいかもしれませんね。
ちょっとでもこういう状況を思いやることくらい、本当のファンならできるんじゃないの?って思うけど、あえてしないのです。
なぜなら・・・
黄色い雨をリンクに降らせたいからです。
そっちのほうが、面白いからです。
折り鶴問題でいうと、「相手のことを思って折った」ことを、認められたいだけのこと。
だから、折り鶴なんていらないと拒否することは、「あなたのやったことを認めない」という図式になる。
そもそも、しなくてもいいのに・・・なのに、どうして「折り鶴を折ろう!」機運が起きるのか?
単に、努力や頑張りを認められたいからです。普段、何かをガマンしたり、抑圧しているんでしょう。
だから、他人からの承認を求めます。
こんなに折ってすごいね!って、いわれたいんです。
ニュースになってテレビで放送され、鼻高々になりたいんです。
鶴を折って送る!という実体のない【大義】に共感してしまい、共犯者になってしまったのですね。
もう、引っ込みがつかない。落としどころがない。
解決策は素直になるだけ、なんですけど、
みんな、振り上げたこぶしのおさめようがないんだろうな、という状況ですね。
なので、折り鶴問題に関しては、時間の経過とともに、お互いの暗黙の了解のもと、沈静化させるのが最善策です。